なぜ日本人は我慢大会がはじまってしまうのか?

日本人って我慢が美徳という感覚ありませんか?例えば、残業について考えてみましょう。サラリーマンとして組織で働いていると多くの人が感じて、多くの場所で議論されてきている、自分の仕事は終わっているのに会社から帰りづらいというつきあい残業という話です。

これって、根源にあるのは「俺が苦労してるのに、お前は早く帰るのか」という他人の幸せ(別に定時で帰ってるだけなのですが)を許容できない心から生まれているのではないでしょうか。別に他人が早く帰っても自分が不幸になるわけではないのに、「あいつだけずるい」というような考えが生まれてきてしまう日本人・・・

百歩譲って、そういう考え方を経営陣がしているというのならば、まだ説明がつきます。例えば、長時間労働を行うことが頑張っている証拠と思っている経営陣(ここでは管理職も含むことにします)であれば、早く帰る社員に対して快く思わないということも日本社会ではあるでしょう。しかし、日本人のおかしなところは、なにも会社側でもない一般社員が一般社員を相互監視して、わざわざ息苦しい、働きづらい環境を作っているということです。ひとりひとりの社員は気持ちよく働きたいと考えている筈なのに、目に見えない「同調圧力」が働いて、お互いがお互いを縛り付けて、無駄な長時間労働を生んでいるというのが日本のサラリーマン社会でよくあることではないでしょうか。

もちろん、長時間労働の原因は他にもたくさんあると思っています。それはまた他の記事で書きますが、では、なぜ日本人は同調圧力が強く我慢が美徳と考えているのでしょうか。

私は、日本人がこの我慢が美徳と考えるに至っている大きな影響が、小学校からはじまる義務教育なのではないかと考えています。私には子供がいませんので、今の小学生事情は正確にはわからないのですが、そう感じるに至った小学生の時の記憶を辿ってみましょう。

私は田舎の小学校だったのですが、指定の体操服がありました。私の小学校では、原則その体操服を身に着けて登校しなくてはいけません。指定の体操服は半袖半ズボンなのですが、当然冬は寒いので体操服の上に上着を着たり、下は長ズボンを穿いたりして登校していました。しかし、年間を通して体操服以外の着衣を着用しないで登校している生徒には、皆勤賞と同等の賞を与えていました。こういうインセンティブが働くと、子供心にも寒さを我慢して半袖半ズボンで登校することが偉いことなんだな、という考え方が染みついてきます。少なくとも私はそうでした。小学生の頃の私は結構体が弱く、風邪をひきやすい体質だったのですが、唯一1年間半袖半ズボンで登校を継続し、表彰を受けたことがあります。その時は確かに嬉しかったのですが、結局翌年は大きく体調を崩し、1週間ほど学校を休むことになりました。その時、私は思いました。「あ~僕はこれで半袖半ズボンでの登校記録が途絶えてしまったんだな。我慢強くないな。他の皆は我慢しているのにダメだな」と。

大人になった今、これを冷静に考えてみるとちょっとおかしいと思いませんか?頑張ったことを表彰するのはいいことだと思います。けど、無理な我慢を強いなくては達成できないこと、もしくは人によっては達成するのに健康を害する可能性があって、公平さを欠くことに対して表彰を行うことが疑問なのです。私の学校での事象とまったく同じことが他の小学校であったかどうかはわかりませんが、多分同じような考えに基づいたイベントがあったのではないでしょうか。こういうことを小さいころに経験すると、我慢を出来ることが偉いことで、我慢を出来るひとが優遇されて、我慢できない人はダメな人、といった価値観が醸成されてしまいます。

もちろん、なんでもかんでもすぐに諦めたり、我慢すべきところをすぐに投げ出したりするのは論外です。しかしながら、義務教育の多くの場面でよくわからない、理不尽な我慢を強いる場面が多いのです。給食で苦手な食材もすべて食べ終わるまで昼休みに入れない、体調が悪くても学校に毎日来ることが偉い、こういうことの積み重ねが、サラリーマンになったあと、理不尽な我慢を、皆でお互いがお互いに監視しあって、生きずらい社会を作ってしまう一因ではないでしょうか。

では、このような状況をいい加減変えるにはどうすればいいのか。今更タイムマシンに乗って小学生時代に戻ることは出来ませんが、未来は変えられます。その変えるひとつの方法は、「他人は他人、自分は自分」という、少しドライな考え方が大切になってきます。結局、我慢が美徳と考えているのは、他人の目が気になっているのが一番の原因なのです。人間がすべての欲求を満たした時にしたいことは「ゴロ寝」という話もあるくらい、もともと人は怠けるものです。それが、我慢しなければ認められない、皆我慢してるんだから自分だけ楽するのは許されない、といった他人の目を過剰に気にする心が、自分を苦しめ、そして無意味な同調圧力を生んで、周りを苦しめているのです。もし、我慢大会を早く抜け出したいという人がいれば、これを実践してみてください。少しずつですが、心が軽くなってきて、生きやすい自分に出会うことが出来るのではないでしょうか。確かに我慢した結果、人に褒められたりするのは嬉しいかもしれません、でもたったそれだけです。もし、ブラックな環境で我慢に我慢を重ねた結果、心身を壊したとしても、会社は守ってくれません。いい加減、この息苦しい我慢大会から抜け出しませんか。