出世のスピード

「出世・今と昔」

こんばんは、とさやです。

早速ですが、今回は鉄道会社の出世について書こうと思います。

ちなみに、とさやが属している鉄道会社は旧国鉄から生まれ変わったどこかの会社です。今更ですが(笑)

さて、これからとさやの勤める鉄道会社に入りたいという就活生にははっきりいっておきたいことがあります。

それは、あと20年早く入社出来ていれば・・・ということです。

これはどういうことか。今回はそんな話です。

「国鉄時代のキャリア」

まず、今の現状を知る前に、30年以上前の国鉄時代の幹部候補生の話をしましょう。

当時、国鉄職員は公務員でした。そこの幹部候補生として入社する人材は超絶エリート。東大を卒業して、国鉄に入社出来なかった人が官僚になるといわれていた時代です。

当時は大卒でも、幹部候補生でのキャリア採用と、所謂支社採用の2パターンありましたが、当然役員クラスまで出世していくのは幹部候補生でのキャリア採用です。

こういう方々はどんなキャリアパスを歩むのかというと、まず入社して20代半ばで現場の助役として現場管理業務を経験します。助役という仕事は駅でいうと、駅長と現場社員の中間にあたる、いわば中間管理職です。

そもそも最速22歳で入社した人が24歳位でベテラン社員を管理する側にまわるので、それだけでも出世のスピードが違うというのがおわかり頂けるでしょう。ちなみにとさやが24歳の頃は車掌をやっていました。

別の記事で書きましたが、それは非常に楽しい思い出でしたが、ともかく今とは出世スピードがまるで違います。

話を戻しますが、その後30歳位になると、本社の課長になります。そして人によっては、現場の駅長や区長を歴任し、本社でも次長、部長と役職をあげていき、大体の人が役員になったり、子会社の社長になるといったキャリアを歩んでいくわけです。

とにかく、国鉄時代のキャリア採用は絵に描いたようなエリートです。

今の、とさやの会社の役員陣はこの時代に採用された人達ですので、とさやの時代とはまったく違うといっていいでしょう。

「バブル世代の入社」

さて、1980年代後半になると、国鉄は潰れます。

意外と知られていないことなのですが、東京オリンピックがあった1964年は東海道新幹線の開業年でもあるのですが、国鉄はその年から赤字に転落し、組織が潰れる1987年まで遂に一度も黒字になることはなかったのです。

そして国鉄は巨額の負債を抱えて潰れました。

そこらへんの詳細はまた別の記事で書こうと思いますが、国鉄が潰れて、JR各社が誕生するわけですが、この間当然潰れた会社なので、新入社員の採用を凍結していました。

つまり、一時期まったく新入社員がいない時代がありました。

その後、幹部候補生の採用を再開したのが平成に入る頃。この時期に入社した大卒社員は世間から大きく注目されました。一度潰れた会社をどのように立て直して再生していくのか・・・

そして上の世代がぽっかりいないこの世代は、国鉄時代のキャリア採用ほどではないにせよ、今と比較しても非常に速い昇進スピードで出世していきました。

「今はどうか」

そして現代です。

一言でいえば、今の幹部候補生といわれる総合職は全員が全員昇進できる時代ではなくなりました。

古き良き時代の様に、誰もが一定スピードで管理職になる時代はとうに終わり、今後は人によっては管理職にならないまま定年を迎えることもあるかもしれません。

その理由は、①ポスト不足 ②上の世代が詰まっている ③幹部候補生である総合職の採用人数があまりにも多かった

この3つの要因が絡み合って、とにかく昇進は遅いです。

大手鉄道会社に入って、国鉄時代の様なキャリアを描いてる人がいたら要注意。

現代の鉄道会社の総合職はそんな夢物語ありませんよ。

それでは、また。