「命の重さ」
こんばんは、とさやです。
先日の記事では、運転士見習となって、運転職場に配属された後についてお話しました。
それでは今回は実際に電車の運転席に座って、指導運転士同乗の元、運転実技講習を受けていく様をお話しましょう。
さて、無事線区の特性を覚えることが出来た運転士見習はよーやく電車の運転席に座って運転を許されることとなる。
車やバイクなど内燃機関がついているものを初めて運転した時の高揚感と同様のものが、心から湧き出てくるだろう。しかし、それらと決定的に違うのは、自分の後ろに数百人。首都圏の電車であればラッシュ時には5千人程乗せていることもある。
電車を運転するということは、その5千人の人の命を乗せて走っているのである。この5千人という人数は、例えばもう既に日本の航空会社から退役しているが、昔ジャンボと言われていたB747の旅客機約10機分に相当する。それだけではない、その5千人の人にはそれぞれに家族や大切な人がいるだろう。そういった人たちのつながりを考えれば、とてつもない多くの命を預かっているという事を最初に認識する必要がある。それが鉄道の運転士という仕事である。
鉄道の運転士の世界では、電車を運転することを「ハンドルを握る」と呼称する。
とさやが初めて、ハンドルを握って最初の駅に停車させた時だ。その駅でたくさんの人が降りて、停止位置より前にあるホームの階段を下りていった。それを見ていた指導運転士は、こうとさやにいった。
「今、この人達の命を一駅分預かったんだ。これから、電車を運転している間は常にそのことを忘れてはいけない。君には、この人たちの命やこの人たちの家族を事故から守る義務があるのだよ」と。
電車の運転士というと「電車でGO」のゲームの様に、楽しい面がフォーカスされるかもしれないが、実際は物凄い重圧のかかる仕事であるということは、これから電車の運転士を目指したいと思っている人には認識しておいてもらいたい。それだけ大事な事だ。
「指導運転士との相性」
さて、ハンドルを握るようになり、自身で電車の運転を行い実技講習を受けていくのだが、ここからが、運転士になれるかの第一関門といってもいい。
それは、指導運転士との相性である。
サラリーマンなら嫌な上司や同僚のひとりやふたりいるのが当たり前だろう。
だが、指導運転士との相性というのは、そんなもんと比較できるようなレベルではない。その理由は、約1年近くのすべての勤務、全ての仕事の時間をあの密室で共有するからである。
そして、先に述べたように、運転士の仕事は人命を預かる仕事である。そこに妥協は許されない。教える側も必死なのだ。適当に運転士見習に仕事を教えて、その運転士見習が一人乗務をしたのち事故を起こしたとすれば、その半分は指導運転士にあるといわれる。実際に責任をとるのは本人だとしても、それが鉄道の世界の掟なのだ。
そのため、基本的には指導運転士は適当に指導することはなく厳しいと思ってもらってよい。ただ、そこに理不尽な厳しさがあるかないかで運命が分かれる。
ここで、理不尽な厳しさを発揮する指導運転士に当たってしまうと、精神的に折れてしまって運転士を断念せざるを得ないことケースがある。
実際に、とさやの同期や後輩でも、この見習期間中に精神的に病んでしまい、運転士の道を諦めて他職場に異動していった人もいる。
この人選ばかりは運でしかないので、自分と合わない指導運転士と当たってしまったら、運がなかったと思うしかない。
ちなみにとさやは指導運転士と幸い相性がよく、一度も嫌な思いをしたことがなかった。丁寧に教えてくれたし、理不尽に怒るといったパワハラタイプでもなかった。これは幸運だろう。
もっとも、とさやは誰かに怒られるということにあんまり抵抗がない。むしろ教えてもらえない方がストレスが溜まるタイプのようで、そういった我慢できることやストレス耐性は人によって違うので、ここで無理に我慢してうつ病とかになってしまうようなら、運転士は諦めるというのもひとつの選択肢であろう。事実、運転中始終怒られて、とうとうパニック症候群を引き起こし、運転士を断念した知り合いもいた。彼は、運転士は入社の時からの夢だったと語っていたのを覚えていて、とさやはとても悲しい気持ちになったのを覚えている。
ただひとつ言えることは、この指導運転士と行動を共にするのは、嫌でも長くて1年だ。それを我慢できれば、憧れの運転士になれる!というゴールが見えているので、それだったら意味のある我慢かな、とも思う。
電通の新入社員が追い詰められて自殺したのは、あれだけやった先のゴールが見えなかったのもひとつの要因だと思う。だって、あれがいつまで続くかわからないなら我慢することが地獄に感じるだろう。
でも、運転士は期間限定の我慢であるし、それを乗り越えれば、夢の運転士が叶うというならば、頑張る価値のあることだろう。
「まとめ」
実技講習については、とにかく指導運転士との相性が一番重要だと思う。
電車の運転は車と比較して、そこまでセンスの差が出ない。もちろんブレーキが下手くそとか、乗り心地が悪いとかは多少あるかもしれないが、そもそも車の運転と比較して、運転すること自体はそんなに難しいことではないのだ。
なので、指導運転士とうまくやれて、日々乗務を繰り返していくうちに体が勝手に覚えていく。そういうものなのだ。
余談だけど、旅客機のパイロットはエリミネートといって、同様に訓練中に脱落する人も1~2割いると聞く。双方とも人の命を預かっているというのは同じだが、求められているレベルはパイロットの方が数段上だといえる。それはなぜか。
電車と飛行機の決定的な違い。それは、判断に迷った時、危険を感じた時、電車は止まって考えることが出来る。何か危険を感じたら、基本的には止まるのが正解なのだ。そして止まっていれば、自身を原因とした事故は起こらないし、何よりその間考えることに専念できる。
しかし、飛行機はそうはいかない。ひとたび空に旅立ってしまったら、止まることは墜落を意味する。常に操縦を続けながらトラブルに対処する必要がある。
どちらが凄いとか凄くないといった議論ではなく、求められている資質が異なっていると考えて欲しい。
ただ、ひとつ言えるのは、総合職で入社して鉄道会社の根幹である、電車の運転士を経験出来ることは、間違いなく大きな財産であるといえるだろう。
次回は、いよいよ実技の国家試験の内容についてお話しようと思う。
それでは、また!